「本当の奇跡:耳が聞こえるようになって」  〜 加藤 久美子 〜
  障碍を負って生まれた私
私は極小未熟児で生まれ、生後半年検診で、耳が全く聞こえておらず、顔の骨も未発達で変形しているために笑うこともできないと、医者に診断されました。両親は大きなショックを受けましたが、懸命に音のある世界を私に伝えようと、レコードを毎日大音量にして、振動を通して音楽を感じさせてくれました。幼少期の頃、人の顔の表情や口の動きを見ては、自分なりにボンヤリと真似してついて行ったものです。
高校の時、川崎の聖マリアンナ医科大学病院で、顔の形成手術を三年間にわたって受けました。16歳の時に腰の骨を15cm削って顎に移植し、17歳の時には肋骨付け根の軟骨を右頬骨に移植し、18歳の時には同様にして左頬骨に移植したのです。自分の身体の骨を削ってまでして、顔の形成手術を受けなければならないというのは、思春期の乙女の私にとっては耐えがたいものでした。同時期に、私の両親はこともあろうに離婚をし、妹は私から離れて行きました。私の拠り所であり、応援してくれいていたはずの家庭が崩壊したとき、初めて私は、人はひとりで生きて行かなければならないということを知ったのです。でも何のために生きるのでしょう?

 
神様を知るようになって
最初の顎骨の形成手術のとき、私は腰の痛みをこらえながら病院のベッドで寝ていました。すると、私のためにお見舞いに来て下さった方がいました。アメリカ人宣教師の方です。耳の聞こえない私に、身振り手振りで「神様はあなたを愛しています」と優しく語りかけてくれました。でも私は(ウソだ!じゃぁ何で私だけこんな目に会うの?)と心の中で反発していました。「あなたのために祈っていますよ」と笑顔で帰って行った宣教師の姿に、私の反発心はいつの間にか消えていました。彼が置いて行った聖書を手に取って開いてみると、「空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれどもあなたがたの天の父がこれを養って下さるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか」(マタイ6:26)というイエス・キリストの言葉が目に飛び込んできました。大きな大きな神様の手で包み込まれ、私の内から熱いものがこみ上げてきて、溢れ出る涙を抑えることができませんでした。もう私は、他者に対して怯える必要はないのです!
平安をいただいたこの日から、私は「生きよう!」と決意しました。私には私にしかない人生がある。そしてこの掛け替えのない人生は、神様が与えて下さったということに気づいたのです。 17歳のイースター(復活祭)礼拝で、宣教師の方が「耳が聞こえなくても口がきけなくても、手があれば神様の愛を伝えることができる。ろうあ者の仲間たちに、あなたは手話で神様の愛を伝えることができる」と教えて下さいました。自分の足で立つ勇気と力を与えて下さった神様に感謝しつつ、私はろうあ者仲間のために生きようと心に決めたのです。

耳が聞こえるようになる!!
聞こえる世界をもっと知りたいと祈り願っていた私に、神様は素晴らしい奇跡を与えて下さいました。夏のバイブル・キャンプに参加した時のことです。友達が誘ってくれたから参加したのですが、何も聞こえないので何となくつまらない思いをしていました。そんな私に、講師の牧師先生が、「イエス・キリストは昨日も、今日も、いつまでも変わらない。あなたは2000年前に耳の聞こえない人を癒されたイエス様が、今も生きておられることを信じますか」と尋ねてきました。私は半信半疑でしたが、とにかく聞こえるようになれたらという一心で祈ってもらいました。キャンプが終り、家に帰ってからのことです。朝起きてみると「ポタン、ポタン」という音がします。しばらく家中を捜しましたが、やっと台所の流しの洗面器に落ちる水の音だと分かったのです。「そうか、水にも音があるんだ」。私は感動に包まれました。「あっ、私は聞こえている!イエス様が耳を聞こえるようにして下さったんだ」。あまりの出来事に、私はにわかには聞こえる現実を受け止めることができませんでした。
直ぐに聴力検査を受けてみると、私の聴力は85デシベルから38デシベルにまで回復していたのです!医者は首をかしげて、三回検査しましたが、結果は同じでした。「何か治療を受けましたか。これは奇跡ですよ」と驚く医者。神様、本当にありがとうございます!
それからの私は言葉のお風呂に入ったような毎日でした。1980年、神様のために身を献げる決心をして、日本ホーリネス教団東京聖書学院に入学。卒業後、1986年まで東洋ローア・キリスト伝道教会に手話通訳として奉職。その後、ハワイのInternational Bible Collegeへの留学を経て、1988年にアメリカ留学中の加藤望師と結婚して一男一女を授かりました。

 
現在は・・・
1999年に日本に帰国して、2000年から広島福音教会に遣わされて今日に至っています。大きくなったらどんな大人になっているのだろうと、幼い頃よく思っていた私ですが、今は憧れの牧師夫人になっています。4か所の幼稚園、5か所の保育園で、毎日のように礼拝をささげています。耳の不自由な園児さんや保護者の方々の生きる道が、神様につながりますようにと願いつつ、お手伝いをさせていただいています。そのために、教会の扉を開けて、手話の会や手話賛美フラ(ゴスペル・フラ:幼児からシルバー世代まで幅広く5クラス)の活動を行っています。キリスト教用語の手話賛美も、数曲インターネットで流しています。興味のある方はご覧になってみて下さい。 私にとって、耳が聞こえるようになったことは掛け替えのない奇跡です。でも本当の奇跡は、16歳の時、手術の痛みの中で、宣教師を通して、神様の愛に包まれてクリスチャンになったことです。それまで人を恐れ、憎しみに満ちていた暗い私の心が、嘘のように明るく前向きに変えられたのです。神様に心から感謝しています。